オリーブを超えて… ( 8/ 7)
先週、アトリエ☆ルシェーレ主催のオーラソーマ・オンゴーイングデーに参加してきました(^^)/クリスタルマスターPart1でお世話になった青山マリアいく子先生が講師の「エッセネ派・カタリ派ボトルの探求」です。
イエス・キリストが布教活動前にいたとされる未だ謎の多い宗団エッセネ派と、中世において宗教的弾圧を受けたカタリ派についてマリアいく子先生に教えていただきながら関連するボトルやタロットを読み解いていく大変興味深い学びの時間でした。この講座はとても人気があり募集枠は直ぐ満席になってしまうそうでアトリエ☆ルシェーレでは同内容で2日間開催されたのですが、私はオーラソーマやヒーリングモニターを通して仲良くなったS子さんとM子さんと一緒に2日目に参加しました。どちらの日にちを選ぶかでメンバーが変わる訳ですから、当日お会いできた方々とは(ティーチャー2人と受講生8人)やはり何かしらの縁で繋がっていると感じます。初めてお会いする方々にどこか親密さを感じながら講義の間のランチではハートを開いて楽しいお喋りに花が咲きました。以前から興味があったエッセネ派とカタリ派を学ぶタイミングとしてこの日は、新しい出会いも含め私にとって非常に素晴らしい恩寵をもたらしたのです(^^♪

オーラソーマのイクイリブリアムボトルには歴史上に存在した(したであろう)宗教カテゴリーや文明と対応するボトルがあり、それを選んだり惹かれるということはその時代や文明の過去生を持っていたり現世において影響を受けている可能性を示します。また直接それらのボトルを選んでいないとしても3スター数秘で読み解いていく中で出現したりするので自分に関係しているかどうかが顕著に分かるのです。「今現在の自分」が選ぶボトルから「過去生の自分」を見ることができる、そしてそれらがどのように今の自分に影響を与えているか…それらをどのように自らに統合してきたかが分かるので、多角的にそして深く自分を知りたい方には本当におススメのカラーケアシステムです(^^)
この日は午前中にエッセネ派、午後はカタリ派について学びました…(続きを読む→ReadMoreへ)
エッセネ派は古代パレスチナ地方の宗派の一つでイエス・キリストがキリスト教を布教する前にいた宗団と言われています。エッセネ派の人たちは自身の思考や想念、感情そして肉体の状態が自分たちの「現実」を引き寄せる(創造する)ことを知っていたので、常に浄化・清浄に務め極めて厳しく自己を管理しチャクラを輝かせて天使や光の世界と繋がっていたそうです。キャンドルを中心にまあるく並べられたエッセネ派に対応する5本のボトルにはレッド、ピンク、マゼンタが美しく輝いていて、どれもクリアーが入っている(上下ピンクのB52もレッドにクリアーが入ったもの)ことに気が付きます。私たちが自分らしく美しく輝く為には自身の内側に光を当て、カルマの理解と共に浄化をしていくことがいかに大切かを伝えていると感じました。同時にB77「カップ」(クリアー/マゼンタ)に象徴されるように「自身の聖杯がいつも光と大いなる愛で満たされていること」そして「施そうとしなくても愛は自然に溢れ自身も周りも潤していくこと」への信頼こそが光=浄化された状態をキープするエッセンスであると強く感じます。
マリアいく子先生が話されるエッセネ派の歴史や信念体系を聞きながら、私は「その時代、自分はこの宗団を外側から見ていたな…」と漠然と感じました。こういった勉強会やワークショップで情報やエネルギーをシェアしていると、チャンネルがカチッと合う様な…アンテナが急に立つような感覚とともに今まで感じていたことや疑問に思っていたことに答えがもたらされることが多くとても面白いです。講義に集中しながらも、その漠然とした感情や情報を冷静に見ていくと…私はこの時代に「宗団に入ることが許されなかった女性」の転生があったことが分かりました。何か積極的に活動したというよりは「憧れ」のような情熱を持っていて「教義の深遠に触れたくても全ては薄いベールの向こうで手が届かない」といったもどかしさに苦しみ「スピリチュアルなことを探求するには男性で無ければ!」と強く思ったようです。そしてそれがスピリチュアルな探求の次の転生、すなわち「カタリ派」へと繋がっていったことにも気が付いたのでした。
カタリ派は11世紀から14、5世紀にかけてフランス南部とイタリア北部で活発となった宗教民衆運動もしくは宗教的集団(グノーシス派キリスト教の一派とされている)を指すそうですが、現在ではハッキリとした思想や経典を表わすものは残っていないのだそうです。聖職者は男女平等で領主や貴族階級にも信者が多く、キリスト教色を帯びてはいるものの秘教的な知識の伝承に重きをおいたり神殿としての教会を建てないといった「カトリック教(正統教会)の制度」を拒んだような布教活動をしたために「異端」と見なされ弾圧されました。信者の一部や「完徳者」といわれる宗団のトップの人たちは現実世界や肉体そのものを悪とみなし、非物質主義や禁欲生活といった厳しい戒律に重きを置いたそうです。また、この時代に数多く存在した「吟遊詩人(トゥルバドール)」と称される、主に恋愛歌を歌って自由な表現を追求した伝道師(大道芸人)達も宗教的な差別を受け弾圧されました。
私が初めて「カタリ派」という言葉を聞いたのは、アトリエ☆ルシェーレで「チャクラとオーラのヒーリング&リーディング」を受けた時です。ヒーリング講座を受講する前提条件としてにティーチャーのさくらおかそのえ先生のセッションを体験したのですが、その時に私の過去生として出て来ました。セッション中、先生の声を遠くに聞きながら目の前一面に濃いグリーンのゴワゴワとした重たい着衣を感じていたのが印象に残っています。それはもしかしたら服や布というよりも、その時の苦々しいエネルギーや胸のあたりに感じる重苦しさを表わしていたのかも知れません…。その転生では今の夫と一緒に教義を学んでいたことや二人とも男性だったことを教えてもらいました。後に自身の瞑想を通してさらに詳しく認識することができたのですが、それには2つのパターンがありました。1つ目は…若い二人がお互いに信頼し合って学びの場を共有しているもの、そして2つ目は…「私を覚えていてくれなかった」という落胆と分離感、そして弾圧されたビジョンです。私は今までこの情報を「出会った頃はお互いを信頼していたのに、小さい集団で移動しながら自分たちの信仰を続けているうちに信じるものがズレてきて、だんだん宗団内での格差もついてしまい最後には全く相入れない関係性になった上に『異端』という烙印を押され弾圧されて死んだ」という「悲しい転生」として認識していました。が、マリアいく子先生が説明しながら広げて下さった南フランスの地図を見ていてハッキリと「カタリ派での転生が2回あった」ことと「自分が地図上のどの場所で弾圧を受けたか」ということに気付き、不思議とポジティブな波動を感じたのです
この記事を書くにあたりペンジュラムと瞑想で検証したところ、この二つのビジョンの間は実に190年程空いていたことが分かりました。「深い緑色のローブや石造りの書室(図書室のような空間)で仲睦まじく書物や巻物を見ている姿」は蜜月の様な時間を過ごした1つ目の転生(900年代)の映像…、そして「『お前なんか知らない、覚えていない』と言って私を無視する彼の立ち振る舞いや無表情に落胆し怒りを覚えながら座りこんだ回廊の石の椅子(ベンチ)の硬さと冷たさや絶望とともに見つめた寒々しい庭園(中庭で畑になっている)」と弾圧の映像は2つ目の転生(1190年代)のものだったのです。初めてこれらのビジョンを見た時、どうして彼が私を「覚えていない」と言ったのかが不思議だったのですが「転生前を覚えていた私と覚えていなかった彼」という情報が抜けていたと分かれば納得がいきます。カタリ派は「誓いを固く禁じていた」とネットに載っていたので、もしかしたら彼も薄々は気付いていながら完徳者だったが故に「転生したらまた会おう」という誓いを頑なに否定したのかも知れません。逆に私はその誓いを覚えていた為に彼への愛憎に苦しみ、また信徒として「信心が足りない」と自分を責めることにもなっていったのでしょう。また、弾圧を受けた時代のビジョンでは彼が崖から転落して(もしくは身を投じて)死んだ事を知らされ落胆する様子や、洞窟のような中で自ら死を選ぶまでの経緯を生々しく受け取っていましたが、この日マリアいく子先生が見せてくれた「カタリ派最後の砦」であるモンタギュール城の写真を見た時に「やっぱり事実だったのだ」と確信しました。こんもりとした山の断崖絶壁の上に建っているこの城に見覚えがあったからです。完徳者だった彼はここで命を落としたのでしょう。私はこの城には身を寄せず少人数でかたまって逃亡していましたが海岸線(汽水湖がある辺り)で捕まりました。マリアいく子先生が見せてくれた地図の中で非常に「嫌な場所」を感じ、その後「ここら辺で捕まった」と分かったのです。最後は岩牢か地下牢のようなところに幽閉され暴力を受けながら改宗を強要されますが、頑なにそれを拒み自ら命を絶った(自刃ではなく絶望して絶食の末)という記憶が補完されました。それらは非常に生々しく、そして苦々しい経験で、自身の深い感情や恐れとリンクしていることが分かります。自身の神性や霊性を探求したいと望みながら人間的な感情に支配されてしまったことへの後悔や、自身の信仰やスピリチュアリティを表現することへの恐れ、また一切の商業行為を禁じたカタリ派の教義の影響か「対価としてお金を得る」ことへの無意識の抵抗など、これらはきっと「今の私」では想像もできないくらい「私の中」に刻まれているのだと感じました。しかしながら同時にとてもスッキリしたのです。さすがに先生が話された「カタリ派、大量虐殺」のあたりでは下腹部に痛さや気持ち悪さを感じコーラルのカラーエッセンスを塗らせてもらいましたが、それ以外は非常に冷静にそしてポジティブに「歴史」を見ることができている私がいました。要は「分かった」から冷静に受け止められたのでしょう。
私たちは「分からない」ことに非常に不安を覚えます。深い恐れや感情に振り回されるのは、それがどうして自分に影響しているのかが分からないからです。「正体見たり枯れ尾花」の状態になれば大抵のドラマは客観的に見ることができますし、明晰性を持って見ることができればジャッジしたり否定する思考やエネルギーも自然に手放すことができるのです。ボトルに「暗い過去生」を投じることもできれば「深い洞察」や「ポジティブな見解」を見出すこともできる私たちだからこそ「自分を知る」ことにもっと意識的になっていきたいですね。確かに私たちは分離の時代を経験したくさん傷つけられ傷つけましたが、今の時代のエネルギーは素晴らしく「自己受容」へと導いてくれています。オーラソーマはじめスピリチュアルな表現に惹かれる人は過去生に於いて宗教的な弾圧や制約を受けていたり、また同じくらい弾圧する側を経験していることが多いため自分の信じるものを公言することに恐れを感じたり自責の念に駆られてセルフジャッジしたり、自身の光の部分に執着して闇の側面を受入れられない「完全・完璧主義」や異常なほど浄化に執着したりそのエネルギーに翻弄されがちです。が、私たちは今「個」から「全体」へと意識が変容していく道のりに存在しています。どうして苦味を感じなければならなかったのか…苦しみから何を学ぼうとしたのか…自分を知り、そこに理解の光を当てられるところにようやく来ています。カタリ派やグノーシス派を象徴するイクイリブリアムボトルはB74「トライアンフ」(ペールイエロー/ペールグリーン)やB7「ゲッセマネの園」(イエロー/グリーン)、B31「泉」(グリーン/ゴールド)ですが、これらにはすべて「自己知」のイエローが入っていることでもそれが分かります。明晰性とユーモアをもって自分を深く見ることで補色のバイオレット…即ち真の自分の霊性に目覚めていく…そんなポジティブなメッセージを感じるのです。またシェイクカラーのオリーブには「ハートの苦味を甘みに変え」て軽やかに「次元間を超えて行く」しなやかさを感じます。そのオリーブの補色であるマゼンタの「大いなる愛」に気付くことで私たちがここから選択し進む道が変わってくるでしょう。過去生も未来生も結局は「今の私」。ドラマに翻弄されること無く、マゼンタ=第8チャクラのハイヤーセルフの視点に立って全ての光へと統合していく…これからの道のりはすでに許され愛されているのです。

講義の最後に、この日選んだ4本ボトルで隣り合った受講生どうしコンサルテ―ションをしました(^^) ペアを組ませていただいたE子さんはとても優しく女性らしい素敵な方。柔らかくゆったりしたエネルギーを共有しながらコンサルテ―ションができて本当に嬉しかったです。お互いのボトルをみていくと…エッセネ派・カタリ派のボトルを一本も選ばなかった私とカタリ派のボトルを選んだE子さんの3スター数秘に見事なシンクロぶりが!非常に興味深かったです(^^)2人とも上下層オリーブのB90「フェミニンリーダーシップ」が並び、まさにカタリ派の転生とそのハートの苦味を示していました。同時に「道を見定める明晰さ」のオリーブがハートの深いところで補色のマゼンタにフォーカスしている…そうも感じたのです。そして3本目と4本目のボトルナンバーを合計した「未来の統合」の場所には、これまた2人揃ってB24「ニューメッセージ」(バイオレット/ターコイズ)が並びました。面白いですね〜と盛り上がっていると「そのB24と上下反転したB49は新しい時代の吟遊詩人ですよ」とマリアいく子先生が優しく教えてくださいました。そう聞いて私たちが歓んだのは言うまでもありませんヽ(^o^)丿B17とB38「吟遊詩人」のバイオレットとグリーンのコンビネーションに暗い過去生を投じる時期は私たちの中で終わったのだ…そう感じました。今、軽やかに波動を上げて水瓶座の時代を象徴するターコイズを出現させているB24に「ハートの苦々しさを優しく手放し、自由な遊び心をもって内なる教師とともに自身のスピリチュアリティや愛について語ることができる私たちがいる」…そう確信したのです。

もちろん私のスピリチュアルな学びはまだまだ続きますが「学び=苦しみ」という古いパターンがしっかりと手放され「学び=歓び」に切り替わったことは、このエネルギーシフトの時期にもたらされた恩寵だと感じます。この素晴らしいオンゴーイングデーに参加したその1週間後に、マゼンタのポマンダーを手に取ることがてきたことにも意味があるのでしょう…。
早速ワークしてみたところ、後頭部に響く素晴らしい香りの中に私は「宇宙」を感じました。私たちの波動は最早地球サイズでは無く、どんどんとマクロ宇宙へ広がっていて同時に素晴らしく深まっているのだと感じます。「大いなる愛」に包まれて私たちはここから「新しい愛」の波動を体感・共有しはじめるのでしょう。マゼンタの補色オリーブの「次元間の橋渡し」という色彩の言語に、軽やかに次元を上昇しながらさらに深くガイア(地球)と結びつく地点に到達した「私たち」が見えるようです…。
「ライオンズゲート」を前に準備が整ったことに深い歓びと感謝を感じずにはいられません!明日の8月8日は自身のハートの聖杯を掲げて盛大にお祝いしたいと思います!…オリーブを超えてマゼンタへ…軽やかにゲートを通過して「真実の愛」へと進む「私たち」です…ヽ(^o^)丿