ペールゴールドの旅 ( 5/29)
オーラソーマレベル3の学びは早くも折り返し地点にさしかかりました。楽しいことは本当にあっという間に過ぎていきますね(^-^) 情報量がハンパないので落とし込みには時間がかかりそうですが、とにかく今はオーラソーマタロットの絵柄からイクイリブリアムボトルのエネルギーを読み解いていくことが面白くてたまりません♪ オーラソーマの創始者ヴィッキー・ウォールさんのインスピレーションから生まれたボトルたちは後にオーラソーマの後継者となるマイク・ブース氏との出会いによって数秘やカバラとの関連が紐解かれてきた訳ですが、そのパズルのピースのハマり具合が本当に素晴らしく講義は毎回驚きの連続です!オーラソーマ・カラーケアシステムは様々な文明の叡智のルートを辿りながら、今、宇宙の真理を携えてここに顕現しているのだと強く感じます。この学びの機会がもたらされていること自体が奇跡のようでもあり、自然と感謝が湧いてくる今日この頃ですo(^▽^)o
レベル1がスタートしてから約一年、連続して7本のボトルを使ってきたこともあって最近は自分が選んで使っているボトルが自身のどのレベル(スピリチュアル=霊性、メンタル=精神、エモーショナル=感情、エネルギー=肉体)に働きかけバランスをもたらすことを助けているか感じられるようになってきました。これはあくまで私の場合ですが、半分使った頃にそのボトルのテーマに沿った事象や自身を見つめる機会がもたらされ、使い終わる頃にそれらが深い学びとなってギフトとして統合される…今のところそんな流れができています。一見トラブルやアクシデントのように感じる側面に「気付き」という光がもたらされる瞬間は何度味わっても新鮮な驚きと深い歓びがありますし、自身の凝り固まったパターンが一枚一枚剥がされていく手放しのプロセスにディヴァイン・タイミングを感じた時は感嘆します(#^.^#)

間もなく使い終わりますが、今ワークしているボトルは上層ゴールド/下層クリアーのB73「荘子」(チャン・ツー)です。上の写真は使い始め直前のボトルを撮ったもので、上下層の境目…自身の中心を表すインカネーショナル・スターの領域に小舟のような小さい泡が浮いていたのが印象的でした。特にボトルを振ったりした訳ではないのに「使う」と決めた瞬間から自分自身とのチューニングが始まったようで気が付いた時にはこうなっていたのです。見れば見るほどその泡が金色に染まる海や河の上に小舟が浮いているように見えて、これから始まるボトルとのワークが「旅」や「移行」を象徴しているように感じました…(続きを読むReadMoreへ)
レベル3の通過儀礼 ( 5/18)
楽しかったGWはあっという間に過ぎて、いつもの日常が戻って来ました(^^)
とは言え先週からオーラソーマのレベル3に進んだこともあり日常のそこここに気付きがあって、のんびりしつつも自身の深いところでは常に変容を感じています。なので眠いこと眠いこと…(^_^;) 私は睡眠学習派(?)なので新しく情報をローディングする時には結構な睡魔に覆われることもしばしば…。しかし今の暮らしはその睡魔に抗わないで済むので本当に有難い!眠い時に寝てクリアな時に気付きを得る…そんな自由な生活リズムをサポートしてくれる様々な側面に心から感謝です♡ また、オーラソーマ・レベル3に進む前提条件として10の質問に答える形か自身の体験談や考察を6000字~8000字のエッセイにしてティーチャーに提出する必要があったのですが、実は自分でもびっくりするほどエッセイの完成までに時間を要することとなり久しぶりに心身のバランスを崩しました。GWの前半を費やしてようやくエッセイを書き終わった時には、その一連のプロセスやイニシエーション(通過儀礼)に意味があったことが分かり、これまた深く感謝した次第です。
私たちは「何かを自分のものにする」とか「使えるスキルにする」ということに「落とし込み=プロセス」が必要だと信じています。そして上手にその観念に従っています。これは学習や技能の習得に限らず「生きること」そのものにも当てはまるかも知れません。人は常に「時間」という観念に縛られていますし、目標や目的地へは「一足飛びには到達できない」と思い込んでいるので上手に回り道をするのです。それに加えて非常に「感じる側面」に重きを置く傾向にあるのでシンプルにすることを実は好みません。口では「楽にそうしたい」「シンプルが一番」と言いながらとにかく複雑にして、時間と手間ひまをかけて、タップリと感じそして味わおうとします。エッセイに取り組む私ももれなくそうでした。結局はアクシデントや複雑なプロセスを好んで自分の人生に招き入れ、時間をたっぷり使うことで「頑張っている自分」を味わいたかったのです。人は自分のことに集中すると余計にその傾向が強まるようにも思います。
「上手く行かない」と嘆いている時、同時に「味わえている」と満足している私がいる…それに気が付いた時、その2極に振れた自分のアンバランスさに健全さを取り戻す必要があることにも同時に気が付きました。自分で構築した複雑なプロセスに見事にはまって身動きが取れなくなった「ドラマな状態」から、オーラソーマのプロダクツを使って抜け出すことを試みたのです。そしてそれをそのまま題材にして、ようやく「私の感じる側面にもたらされたプロセスと恩寵」という題のエッセイを書き上げることができたのでした…(続きを読む→ReadMoreへ)
